↑こちらの記事のつづきです。
さて、1年間の高校交換留学に掛かる費用は
国にもよりますが、まず100万円はくだりません。
(私費留学や奨学生留学などはまた別)
正直、うちは兄・私ともに何不自由なく育ててくれたのには感謝で頭が上がりませんが、娘(私)の気まぐれ(当時は十分そうだったと言えると思う)によって急遽発生する百数十万円をポンと用意できるほどの余裕はなかったはずです。
ですので、私が初めてこれまでお話ししてきた壮大なストーリーを母に話した時には
「⚪︎⚪︎(私)がまた何か言ってるww」ぐらいの反応でしたし、
本気にしてもらわねばと焦り、割ときちんと父に相談した時には
「どこにそんな金があると思っとる〜!」と突っ返されました。
さらには「それだけの金を稼ぐのに、1時間何円で何時間、週に何日、年にどれだけ
働かなあかんか、計算してこい!!」と。
そこで私。
きっちり計算しましたよ!!
いま思えば、あの言葉は父の売り言葉。「無理だ諦めろ」の意味だと分かるのですが、
当時「留学して絶対に宇多田ヒカルレベルに英語を話せるようになる」ことしか頭になかった私は
時給x円で平日y時間、休日z時間労働した際に
1年間で100万+α円貯めるためには
年間XX日働けば可能
みたいな数式を紙に書き、父に冷静に提出しました。
父も娘のガチな行動に若干ひきつつ、言い出したからには後に引けず
「か、稼げるものなら稼いでみろー!!」みたいな感じになりました。
その後、地域で最も良い時給であったバイト先が通っていた高校の至近距離で、
(実は計算上カツカツなので)同じ時間でなるべく多く稼ぎたい、でも先生や友達の親にバレてバイト、ひいては留学できなくなったら困るということで
アルバイト原則禁止であった高校の校長室に乗り込み(実際は担任に事前相談した)、校長に直談判。正式にバイト許可を特例でもらうといったプチドラマもあり。
またバイト先の量販店では、おそらく歴代最もおっちょこちょいなアルバイトとして何とか1年間大人にイジられつつ乗り越え
目標の100万円+αを貯めることが
できなかったのですー!!!泣
20万円ほどショートしてしまい、力不足を痛感しました。
・・・しかし、そこで手を差し伸べてくれたのが両親でした。
最初は反対どころか相手にもしてもらえませんでしたが、1年間脇目も振らず働く私の姿を見て、最終的には熱意を認め応援してくれるようになっていました。
足りない分の資金援助をしてもらったお陰で、私は念願の高校留学に旅立つことができたのです。
その3(最終話)につづく。