大丈夫?
よく聞かれます。実によく聞かれます。笑
思うに世の中にはある点で二種類の人間がいて、
- なんか知らんけど大丈夫かな?と放っとけない人
- なんか知らんけどあいつは大丈夫やろーと思われる人
に分かれると思います。で、私は1. なようです。
「放っとけない」って、20代前半ぐらいまでは異性に言われたら嬉しい言葉かもですが(というか私が男の先輩に言われてちょい嬉しかった反面、うっすら下心も感じた…w)少なくとも仕事においては「あいつは大丈夫そう!」っていう評価の方が良いと思っちゃいます。
なんか「お前はダメ」って言われてる気がして。考え過ぎですかね?
心を配る
心配って字の通り「心を配る」、本来は思い遣り(care)に近い意味だと想像するのですが、日常会話だとたいてい不安にさせる(worry)みたいな意味で使われますよね。
「大丈夫?心配だよぉ」とよくセットで声を掛けられるのですが、悪いことに多くの場合、特に困っていない時に言われるのです…!
普通に生きてるだけで人を心配させるのか、私は?!と、それこそ不安になります。苦笑
名言出ました
そんなことをチラッとこぼした時に、ある方から革命的なお言葉を頂きました。
「大丈夫?って言うからといって、何かしてくれるでもないのにね。」
…
そう!ホンマソレ!!!
自分の中でも言語化できていなかったモヤっとした思いが一気に晴れた瞬間でした。
そうなんです。
大丈夫?心配だよって言ってくれるのって、すごく優しいし有り難いって感じる。だからこそ敢えて言います。
言うだけなら簡単。
その先に、何か具体的なアクションを起こしてくれて初めて、困ってる人は「助かる」のです。それが無ければ、心配するだけではむしろ(私のように)心配を掛けているということが苦しい人もいる。心配の押し売りという結果になりかねません。
本当の心配りとは
人の親切に対して恩知らずといった意見もあるかも知れません。
また、昨今問題に上がることの多い過労や心を病む一歩手前の方に対して、声すら掛けないことがその人を追い込む、「大変そうだけど大丈夫?」の一言で救われる場合もあるでしょう。
ただ自分自身は、大丈夫?とセットで「◯◯ならできるけど手伝おうか?」のアクションを提案する。それができない時は、同じ心を配るのでも「あなたならできる」という応援を贈りたい(繰り返しになりますが、ギリギリの状態まで追いつめられている人に対してはこの限りではありません)。
本当の支援・気配りは何か?を考えて行動できる人になりたいものです。
…とか言いつつ、今日も遅くまで残っている同僚に「だいじょうぶぅ〜?」と聞いてしまった私。言うは易し、行うは難しとはこのことか orz