Twitterに呟こうと思ったことが、どうにも140字とか280字に収まり切らないのでブログに書くことにしました。
おそとカフェ vs おうちカフェ
20代の時、一杯の珈琲を飲むためにカフェや時にはホテルラウンジに行くことにお金を惜しまなかった。
30代になった今、ドリップコーヒーでも美味しく淹れられるし、市販の美味しいおやつも知ってるから、おうちカフェも同じぐらい好きになった。
思えば、特に20代前半は(多くの人がそうであるように)人生に迷走していて、自己啓発系の本や発信に傾倒していた。
その時に影響を受けた・採り入れた思考や行動の中には、今も役立っているものが多々ある。その一つが「なりたい自分像があるなら、その理想に合わせて少し背伸びした場所に行ったり、衣服を身に付けたりすること」だ。
かと言っていきなり数万円のファッションアイテムを買うことはできない、と言うのであれば、いつも数百円のコーヒーを飲んでいる人が一杯千円のコーヒーをホテルラウンジで飲んでみることはできるよね?という話が、ストンと腑に落ちた。
当時横浜に住んでいたので、さっそく横浜ベイシェラトンのラウンジにドキドキしながら訪れた。おひとり様の小娘にもスタッフの方は丁寧に接客してくれて、何とも優雅な休日の午後を過ごせたことを覚えている。
よくスピ系の人が「気」という感じをいちいち「氣」と表記しているのを見るけれど、あの時感じたのはまさに「良い氣」だった。定期的にこういう波長の中に身を置こうと決意したものだ。
だから最初に書いた通り、出先でも近所でも、読みたい本を携えてカフェで過ごす時間にはお金を惜しむことをしなかった。
幸せの因数分解
時は流れ、30代になった今。
連休最終日、朝から出掛ける用があった。週末はどうしても二度寝の天国を享受しがちだが、やっぱり早起きすると1日が長くて気持ち良い。
用事を済ませて時計を見ると、まだ11時前。夫にはお昼は家で食べると言ってある。
ちょうど、面白そうな本をKindleに落として持ってきたところだ。帰るまで小1時間、その辺のカフェに入って読書をしようか。
駅のホームでちょっと逡巡した結果、次に来た電車に乗って帰宅の途についた。その時ふと「20代の私なら『自分のために使う時間とお金をケチってしまった…』とちょっと後悔しただろうなぁ」と思った。『おもひでぽろぽろ』のように、突然顔を出した昔の自分に苦笑いしながら、愛おしい気分になった。
今の私が迷わず家に帰ることを選んだのは、カフェで過ごす時間への投資を諦めたからではなく、自宅で過ごすコーヒータイムに同等の「氣の良さ」を感じるからだ。
その理由として、下記のような要素が考えられる:
結局のところ、この辺りが私の幸せを構成する重要な要素であることが分かった。それも、少し前の自分がいろんな場所に行ってくれたから浮かび上がってきたことだ。当然「お金もったいなかったな〜」と思う失敗もあった(多少騒がしくても落ち着けるカフェもあれば、インテリアはお洒落で写真映えするけど食べくずが散乱している店もあった)。
だから、20代の私がカフェで上質な時間を過ごすために投資してくれたことには感謝している。その分30代の私は、必ずしもお金を掛けなくても幸せになれる方法を知っている。女は歳を取るほど金が掛かるなんて嘘だ。年齢と経験は、賢い財布の役に立つ。
そして今まで自分を喜ばせるために使ってきたお金を、大好きな人たちと過ごすとびきりの時間のため、美味しいお店や旅に使うのだ。あるいは大切な人が困った時、躊躇なく差し出せるように。
次の10年へ
以前と考え方が変わったなぁ〜と思う瞬間は、新しい自分を発見するようでいつでも興味深い。それこそこんなブログ記事を書くぐらいには。
さて、40代になった私はこの文章を読んでどう思うのだろう。今から楽しみだ。