職業:もの書き。
そう言える人になりたい。
社会人になってからずっと探し求めて彷徨い続けていた「夢」らしきもの、突然降ってきた。
留学と国語とセンター試験
ここで一つ、思い出話をさせて下さい。
高校留学から帰国後、当然英語の成績は良かったのですが、他教科の成績が最初はついてこず。
当たり前ですよね、不在の間の知識がゴッソリ抜けてるわけですから。これはしょうがない。
ただ、国語に関しても芳しくなかったのは、疑問であり打撃でした。国語、特に現代文の部分なんて、基本的にはその場で問題文を読めば答えられる性質のもの。
もともと得意教科の一つだっただけに「受験用の解き方がきっとあるんだ」と、問題文に◯やら△やらを付ける〜〜式解法に手を出すものの、成績は上がらず焦る一方でした。
ある日の放課後
帰りのロッカーでふと鉢合った担任と話していたら、ふいにこんな言葉を掛けてくれました。
Casey、国語ってね、大人になればなるほど読めるようになってくるの。
先生思うのだけど、それは大人になるにつれていろんな経験を重ねて、感情や価値観の幅が広がるからじゃないかしら。
(若い頃と)同じ文章を読んでも「あぁそういうことね」「そうそう、こんな気持ちになるよね」と共感できることが増えるんだよ。
古文や漢文にしたって、今と昔でそう感じ方って変わらないからね。
だからね、留学っていう「経験」によって視野や価値観が広がったCaseyは、きっと同い年の高校生よりも国語が得意なはずだよ。
その結果
ずばり、センター模試の国語の点数が平均して50点以上は上がりました。200点中の50点、25%増です。
英語を筆頭に、国語でも安定して高得点を取れるようになってから、落ち着いて理・社を仕上げることができ*、最終的には行きたかった大学に行けました**。
*数学は最後まで克服できずだったけどw
**実は前期で落ちて、後期で別の学部だけどww
そう考えると、あの日のあの言葉が無ければ、現在の私はだいぶ違った形でここにいると思います。
ただ今でもこのことを思い出すのは、陳腐ですが言葉の力をまさに実感したエピソードだからです。
ちょっとした言葉をきっかけに
あの日担任と話した前後で、特に勉強法を変えたわけでも勉強時間が増えたわけでもありません。
ただ、それまでの私の中に
留学して日本の授業から離れてたから、勉強ができなくなってるはず。
英語と引き換えに、国語が苦手になってるはず。
という、今思えば笑ってしまうような思い込みが刷り込まれていたんだと思います。それも無意識のうちに。
それが、誰かの言葉で簡単に呪いが解けた。
その効果の程は明らかで、時に具体的な方法論の指導よりも、ちょっとした声掛けをきっかけにマインドセットが変わることで大きな変化・成果を生み出すことを体感した原体験です。
ものを書く人
だからこそ、私自身人に掛ける言葉には気をつけているし、いつかどこかで誰かの心に働き掛けられるような言葉を蓄積しておきたいなぁと思うのです。
そんな私にとって、ものを書くことを仕事にしている人はずっと憧れでした。
と言うのも、自分は口下手だし、書く方が昔から得意で好き。
さらに、口で言葉を伝えられるのは対面にいる人か、その場に居合わせる人に限られる(まぁ今はTVや動画がありますが)。それに対して、書いた言葉はより多くの人に届き、より長く残すことができる。
暇さえあれば何か読むか書くかしている私にとって、好きを仕事にできるとしたらそれはもの書きなんじゃないか。
恥ずかしいけど、ここに宣言してしまった。まずはできることをコツコツと。今日もブログを綴ります。