この辺の記事でも少し触れましたが、最近ますますモノを値段ではなく、価値で考えるようになってきました。
これってある程度人生経験を積んでこないと難しいので、我ながらいい感じで三十路道を歩み始めてるなぁと思います。
あいほんは高い?
iPhoneに10万以上支払うのがバカらしいっていう人は多いです。
この件に関して私は「確かに高いけれど、iPhoneが好きだから支払うのはOK」というスタンスでした。
一瞬話が逸れます。
以前は、ブログを書く時はPCに向かっていました。
スマホのアプリで大方下書きをしても、最後の編集と更新はPCでしていました。
それが最近、スマホで書き始めからアップまで済ませてしまうことが増えました。理由は当たり前ですが、その方が手軽だからです。
通勤電車の中という、1日の中で最もまとまった時間×2回取れるチャンスを有効に利用するには、スマホのモビリティーという利点はあまりにも大きい。
それだけでも、私にとってiPhoneはMacBook Airと同じとは言わずとも、半分か3分の1ぐらいの価値はあると言えます。
他にも「地図が苦手で旅不精だった人がGoogleマップ+ルート案内によって国内外に気軽に旅に出られるようになった」ら、iPhoneはその人の人生に数万円、数十万円、あるいはそれ以上の価値を付与するでしょう。
そう考えていくと、iPhoneが10万円ちょいするのは適正価格どころか、お買い得なんじゃないかとすら思います。
誰がモノの価値を決めるのか
え、Apple信者になってるぞって?そうかも知れません。笑
確かに一時はiPhoneの価値=その革新的なデザインとコンセプトであると言われていました。また短期間に世界中のこれだけ多くの人が持つようになった普及力も注目されました。
ただ人々の生活にこれだけスマホが浸透した今、さらに一歩進んで人生に与える価値を考えると、もはや何が適正価格なのかを測るのは難しい時代になってきたのではないのでしょうか。
バルミューダは、社長が“カン”で価格を決めたそうです。2万5000円のトースターが飛ぶように売れたのは、人々が「朝を幸せな気分で過ごすこと」に支払える価値を企業が正確に見極めたからだと言えます。
それをメーカーの言い値だと批判するのか、その製品・サービスが人々に与える価値を考えて判断するのか。これからの買い物上手はそこの賢さが重要になってくるでしょう。