ブログタイトルに「眼鏡」が入っている私。
その由来は上の記事の通りなのですが、実生活でも眼鏡かコンタクトがないと外出できないレベルの近視です。
しかし家の中では、あえて眼鏡をかけずに生活することが多いです。そうしないと、見えすぎてしまうから。
人一倍繊細であるという“気質”
HSP(Highly Sensitive Person)という気質については、こちらの記事でもちょこっと触れたのと、その中でリンクしたこちらの外部サイトが読みやすく詳しいです。
HSP界隈のバイブルであるエレイン・N・アーロン博士の著書『ささいなことにもすぐ「動揺」してしまうあなたへ。』を読んで、これまでの人生の気苦労を全て救済された気分になりました。この本を読んで「これは自分のことを説明しているのでは」と感じる人は、ほぼHSPだと思います。
ちなみに、その後他の関連書籍を読んで、自分はHSS(High Sensation Seeking:新しい刺激を求める)型のHSPであると考えています。HSPの特徴の一つであるカフェインが苦手という点が全く当てはまらないし、大した考えなく(というわけでもないけど)移住してみたりするし…。
繊細さの対象の変遷
ともあれ、繊細さという特性は、感受性の豊かさや優しさといったプラスの側面と、他の人が気にならないレベルの物事が気になってしまうというマイナスの側面の両方を併せ持っています。
私の場合、幼少期〜10代後半ぐらいまではその敏感さが、人間関係など内面的な方向に向きがちでした。
それが20代を通して、盤石な友情やパートナーシップのおかげで軽減した代わりに、住環境や物理的な清潔さといった外面的な方向に、敏感さが強く出るようになってきたのです。
自分や他人の家、また飲食店に行った時なども、床に落ちている物や水回りの清潔さがどうしても気になってしまいます。何度か触れているように潔癖気味なので、海外旅行に行くにしても先進国か、東南アジアのリゾート地等でもちゃんとしたホテルに泊まりたい。発展途上国のバックパック旅行とか、インドで人生観変わるとか、すごいな〜とは思うけど一度も行きたいと思ったことがありません…。
感受性を“下げる”
というわけで、家の中でも眼鏡をかけていると、床の髪の毛とかホコリとかがどうしても目についてしまいます。頻繁に掃除をしていても。
だから、眼鏡を外して過ごします。そうすることで、通常の人が感じている(であろう)清潔さの許容レベルまで下げることができて、ストレスが減るから。
で、この眼鏡を外して度数を下げるという手段、物理的な効果だけでなく精神的な意味でも有効なのではないかと思っています。
心が繊細な人が鈍感な人から身を守るための方法としてよく言われるのが、相手との間に膜を張るイメージ。
冷たいとかじゃなく、繊細な人 vs 鈍感な人の場合、これぐらい(繊細な人側からの)距離を取るのでちょうどいいということを、分かりやすくイメージさせる例。
これもある意味、外部からの刺激を意図的に鈍くさせる対策です。
あと私がよくやるのは、失敗や恥ずかしい過去を思い出して必要以上に自責の念に駆られ「◯にたい」とか心の中でも口走ってしまった時、即「生きる!」と言うようにしています。それ以上は深く考えないという、良いおまじないになっています。笑
HSP的ライフハック
人より多くのことが気になるなぁ〜と感じている方、その感受性の豊かさは素晴らしい才能と特性の一つです。
その性質のために「あれもこれも気になってしまう」というストレスを避けるため、物理的にも精神的にも眼鏡を外して度数を下げ、あえて見えにくくするということを試してみて下さい :)