昨日の続き。
変わらずエモのままにありのまま書く(愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない)。
味方になってくれる人へ
泣きながら父親に電話をした。
私は年に2, 3回ほど、父に仕事の相談で連絡するのだ。
特に厳格な父親ではなく、末っ子の女としてどちらかと言うと甘やかされて育った方かと思うが、前述の出来事に対して久々に泣き言を寄越してきた娘に対する第一声。
「それはCaseyが仕事をなめてたってことちゃうか?」
厳ちい〜!!!
さらにキツいのがここから。
私「今月残業が多すぎて、ある夜会社で一人涙が止まらなくなった」
父(間髪入れず)「しなくてもいいような細かいことをしてるんちゃうか?そういう力の抜き方・入れ方を器用にできない奴に限って、プライドだけは高くて人に聞いたり頼んだり相談したりできひんのよなぁ。」
図星すぎるぅ〜!!
昭和と切り捨てるのは簡単だけど
父の世代の人が言うことは根性論だと揶揄されがちだが、(恐らく)愛する娘が泣きながら電話してきてこの言葉が出てくるということは、一定の聞き入れる価値があるように思う。
何より、このアドバイスは本当に相手のことを知っていて、そして思っていないとできない。
現に父と話すまでは「ナンテヒドイノ!ワタシカワイソウ!!」の気持ちでいっぱいだった。周りの人も、大丈夫?と心配して一緒に憤慨してくれた。もちろんそういう優しさも有り難くて必要だ。
その一方で数年後、数十年後の私にとって本当にためになる(であろう)言葉を感情に流されずに言ってくれる人もいて、私は幸せなんだろうなぁ。
環境は同じでも自分が変われば視界が変わった
厳しくも温かいアドバイスを肝に銘じ、翌日は自分でもかなり動きが変わったと思う。
分からないことは「そんなことも分からないの?」「忙しいんだけど」と思われる覚悟でスミマセン!といろんな人に聞きに行った。
そしたら笑っちゃうぐらい、世界は私に優しかった。
親切に教えてくれたり、その場で分からなくても一緒に考えてくれたり、それでも分からないことは「じゃぁあの人に聞いてみよう」と私じゃ絶対届かないようなコネクションを当たってみてくれたり、もし忙しい or 分からない時は素直にそう言ってくれたり。
「仕事ができないわたし」をさらけ出したら、こんなに物事がスムーズに運ぶんだね。
正直、後から入ってきた人たちの優秀さにも焦ってジタバタしていた。でも今ならたぶん、年下にだって素直に頭を下げて教えてもらえるかな。
これっぽっちのプライドが、山ほど大きな障壁を仕事において作っていたんだなぁと気付いてもはや感慨深い。と同時に、そのプライドを木っ端微塵に打ち砕いてくれたという点ではAに感謝すべきなのかも知れない。パラダイムシフトのような劇的な変化は、これぐらいの衝撃がないとなかなか起こらないのかもなぁ。
でもやっぱり、パワハラはダメ、ゼッタイ。笑
今日の私が一番若い
社会人歴7年、もう30歳にもなるのに我ながらお粗末やなぁ…と思ったけれど、40歳、50歳になって気付くよりは全然早い。最後まで気付かない人だっているだろう。
わたしは仕事ができない。
だから、できる限りのことはやった上で、仕事と世間に育ててもらおう。それこそ辞めろと言われるまでは。
ヘロヘロだけど、夜風が頬に気持ちいい金曜の夜だった。