カナダの高校に留学していた時、放課後のクラブ活動に参加していた。
日本でいう部活のイメージと違い、季節ごとに異なるアクティビティが実施されるのに加えて、各アクティビティの練習は週に2, 3回ぐらいのものなので(もちろん学校やクラブによる)、やろうと思えば1年で複数のクラブに所属できる。
例えば、夏はフットボールとベースボール、冬はバレーとバスケ、あとは通年でダンスというように。まぁそこまでするとさすがに忙しいし試合等のコンフリクトもあるので、よっぽどスポーツ万能の生徒でなければ0〜2つぐらいの掛け持ちというところだった(もちろん強制ではなく、いわゆる帰宅部も相当数いた)。
ゆるバレー部で過ごしたシーズン
9月の新学期が始まった時、私の学校ではちょうどバレーボールのシーズンが始まったところだった。
私はバレー未経験だったが、試しにジム(体育館)に行ってみたところかなり基礎的な練習からやっていた。さらに話を聞くとAチームとBチームに分かれており、Aは町や州のトーナメントに出るなどcompetitiveであるのに対し、Bは対外試合は特になく「楽しくバレーをしよう」あるいは「目指せAチーム!」の子が準備する場というコンセプトらしい。
初心者の私にはBチームの感じがピッタリだわ!と練習に通い始めた。最初は初心者の中でも下手っぴの方だったが、幸いサーブが良かったので、それなりにゲーム形式の練習やチーム内での試合も楽しめるようになった。劇的に上手くなったわけではないが、それなりに体を動かして目標通り「バレーを楽しむ」ことはできた状態で、シーズンを終えた。
完全に入り口を間違えたバスケ部
バレーの次のジムアクティビティは、バスケだった。
バレーの時と同様ちょっと様子を見てみるつもりでジムに行ったら、6人程の生徒とコーチが始まるや否や早速練習が始まった。
しかもめっちゃ本格的…!!
全くついていけない。大袈裟ではなく、サッカー日本代表の練習に5歳児が混じっているようなものだった。
そもそも、他の州に留学していた友人もバスケ部に参加していて、最初にトライアウトがあったと聞いていた。私は練習が始まった瞬間、トライアウトが始まったのだと思い「興味があって来てるはずなのに、トライアウトに参加しなかったら不自然だな」と考えて見様見真似で練習に参加してしまったのだ。
今思えば、毎年トライアウトをするまでもなく、固定の6人の猛者たちが集まるクラブなのだ。しかし当時はそれに気付けず、始めてしまったからにはもうちょっと頑張ろうという謎の大和魂を発揮してしまい、その後1ヶ月ぐらい練習に通い続けただろうか。
救ってくれた言葉
そんなある日、バスケ部のコーチ(体育の先生)と学校の廊下で会った。その時彼が私の肩に両手を置いて、こう言った。
“You might want to leave the team.”
字面だけを見ると、冷たく感じるかも知れない。そしてこの言葉から、どれだけ私がバスケチームの足を引っ張っていたか容易に想像がつくだろう。
当時の私も少なからずショックは受けたものの、同時にそう言われて心底ホッとした。
「もう(あれだけ嫌々行っていた)練習に行かなくていいんだ。」
後から振り返るとよりいっそう、彼の言動の温かさに気付く。
これ以上続けると周りの迷惑になるばかりか、自分自身も惨めで情けなくなってしまう。その事実を客観的に伝えることは、本人にとって一番の優しさである。
もちろん、私心や意地悪で才能ある人を貶めたり引き摺り下ろそうとしたりする人もいる。そんな人の言葉一つで、信念を曲げる必要はない。
ただ私がこのエピソードで意図する「やめた方がいいこと」は、恐らく人に言われる前から自分でも何となく分かっていることだ。
最後は自分で決めるからこそ
高校生の私は、コーチのおかげでこれ以上ないほどに正しいやめ時を掴むことができた。
が、人生において明確なやめ時がある方が珍しいだろう。
最終的には自分の直感に従うしかないのだろうけど、そのためには逆説的に、第三者の意見を聞いてみることが役に立ったりする。自分の気持ちなんて、自分が一番よく分からないものだから。
件のコーチのように直接的に言ってくれる人が現れる場合もあれば、誰かに言われたことに対して強烈な反抗心を抱くことによって、本当に求めているものが分かるということは往々にしてある。パートナーについて友達に愚痴っていて、「そんな最低なヤツ別れちゃえよ!!」と言わるとついパートナーを庇ってしまうとか。
30歳前後って特に「やめるかやめないか」「やるかやらないか」悩むことが増えてくるかと思う。そんな時こそ、周りの意見に耳を傾けてみつつ、最後は自分のハートに従って決断していきたいですね。