明けましておめでとうございます。
2022年も、今年の抱負を書き留めておきます。
今年の漢字
まず漢字一文字で表すと。
一言で言えば、恩を送っていきたい。
自分<<<
これまでの33年間、一貫して「我が我が」な人生でした。
こう言うと異様に自己顕示欲が強いタイプや、自分の利益のために他者を顧みないタイプの人間を思い浮かべるかも知れません。
私の場合は、自分の成長で頭がいっぱいなタイプ。良く言えば向上心が高く、悪く言えば常に自分にベクトルが向いている。
思春期に苦しんだ「周りにどう思われてるんだろう」という典型的な呪縛(解:誰もお前のことをそこまで気にしていない)は大人になるにつれ鳴りを潜めていったけど、今度は成長というポジティブワードに取って代わって、20代頃の思考・習性をハックするように。
もちろんそのお陰で成し得たこともあったし、有り体に言えば若い頃はそれで良いんだと思います。根源的に、知的探究心や「できなかったことができるようになる」体験が私の生きるモチベーションになっていて、競争心や征服欲がモチベーションの人と比べてやや健康的な人生が送れそう。
お恥ずかしながら、つい最近まで人生の目標は「一生青春」(幾つになってもやりたいことをやる人生)と設定していました。厨二病でも言わないような青臭さ。
美しい諦念
前置きが長くなりましたが、最近その考えが急速に変わってきました。
「一生青春」は、実際に人生の後期を迎えた方々が有言実行で言うからかっこいいのだと。
時間は有限だし、身体機能は衰えるし、体力だけでなく気力にも限界は来る。だからこそ、歳を重ねるごとに選択と集中をし、気力を注ぐ分野を絞るのが肝要なのでしょう。
自分の限界を知ることは、寂しいことのようで、美しい。
その一方で、自分の可能性は無限だと信じて好きなようにやってこれたのは、周囲の人々からの無償の愛情や優しい期待、有形・無形の支援のお陰に他なりません。それを、今度は自分が他者に対して送る番だと気付いたのです。
感動アウトソーシング
例えば映画を観ても、子供の頃のように感動することはごく稀かほとんど無くなってしまいました。
クラシックに名作が多いのは時の淘汰を経ているからであって、CGなどの技術や脚本・演出の点においても、映画の質自体は上がってこそすれ下がっているということはないはず。
大人になるにつれて様々なことを経験した結果、感動の閾値が上がったこと。それが、映画に限らず様々なことに対する感度が「下がる」理由だと思います。
おじさんが後輩や若い女の子をご飯に連れていきたがるのは、特に後者の場合は下心もあるでしょうが、単純に「こんなに美味しいご飯初めて」という感動を自分に代わってしてほしいという願望もあるのではないでしょうか。例えそれが嘘だとしても。
自分ができなくなっ(てき)た世界への驚きや感動、「初めての体験」を、誰か他の人に委ね、そのために尽力する。それは自分の「一生青春」を願うことと同等に美しい。
昨年投資を始めたのも、自分がビジネスで一発当てることは難しそうだけど、この世の誰かはイノベーションで世界を良くしてくれるから。その誰かにお金を送って間接的に応援できるのが、投資という行為です。
Pay forward
恩を送り、世代を送り、もちろん自分の親世代にも愛を送る。
そんな思いを込めて、2022年をやさしい気持ちで始めました。
この心の余裕が、正月明けてもできる限り長く続きますように。笑