女性の先輩に既婚者のアドバイス求むと言われて恋バナ聞いてたら「絶対向こう気があると思うんだよね〜」とか言ってたので、内心「いつまでそんな事言ってんの⁉️そんなことより“あなたは”その人のこと好きなの❓目を覚ませ‼️」と肩揺さぶって頬っぺたパチパチしたかった。
— Casey@外資系OLの眼鏡 (@lifeisajanico) 2018年10月19日
そういう意味では、高校留学して第2言語を獲得したことで婚活市場が世界に広がり、結果的に国際結婚という選択肢を持てたのは戦略として良かったのかも知れない。もちろん当時はそんな目的微塵もなかったけど。またこのことブログに書くかも知れないし書かないかも知れません🤪
— Casey@外資系OLの眼鏡 (@lifeisajanico) 2018年10月19日
ソッコー書きます。笑
計画された偶然
冒頭のツリーで話は完結してしまうのだが、このツイートをした後にこんな記事を読んだ。
この方の話、めっちゃ好み。
学生時代からちゃんとやりたいことに向かって真っ直ぐ進んで、それを叶えている人には素直に感心する。
一方、その場その時与えられた仕事や役割をとりあえず楽しんでみつつ、興味があることにはやりたいなって言ってみたりしながら、ふわりふわりとキャリアの階段を登っていく人には心から共感できる。
この記事の編集後記に出てくる計画的偶発性理論 (Planned Happenstance Theory)は、まさに後者のキャリア形成の在り方を普遍的に定義した考え方だ。
ちょっと違うが、セレンディピティも似た領域の話である。
神様との出会い方
この計画的偶発性理論について調べていると、さらにこんな記事に出会った:
一部引用すると:
大学の同級生だった夫は、バイオの研究者をしています。ある時、夫になぜ今の職業を選んだのかを聞いたら、身を乗り出して「〇〇先生の生物学の授業の△△の講義を覚えている?僕は、その授業を受けて、僕の進む道はこれだ!と思ったんだよ」と言いました。
一方の私と言えば、同級生だったのですから、同じ授業を取ったはず。生物学の授業をとったことはかろうじて覚えているものの、先生の名前もましてやその講座の中身を何一つ覚えていませんでした。
(中略)
このように、全く同じ事象が目の前に起きても、それに反応する人としない人がいます。
人や仕事との出会いは偶然だけど、その偶然性を自分のものにする(=必然にする)ためには、偶然を受け入れるための準備が必要なわけです。夫はバイオの神様に出会う準備が出来ていたのですね。
この文脈で言えば、私の場合は英語の神様に出会う準備はできていた。
冒頭ツイートで言及した高校留学は、ある日TVで見た宇多田ヒカルの英語がかっこよすぎて、見えない力に導かれるように実現させた(詳しくはこちらの記事参照)。
いま思えば、日系企業のMRから全くの未経験業種・業界の外資系企業へお給料を下げずに転職できたのは、英語力の賜物以外何でもない。
あの時TVで宇多田ヒカルを見ていなかったら、今も私は前職で腐っていたかも知れないし、独身のままかも知れない。
まぁたとえ見逃していたとしても、遅かれ早かれ何か別の形で英語の神様に出会っていただろうし、そうでなくても何かの神様には出会っていただろう。
何気に昔から読んでる元外資系OL AIさんのブログでも、オシャレの神様の話が出てくるよ!これは納得。
「好きを仕事に」は甘い?
最近「好きを仕事にしよう!」という言説は以前と比べると市民権を得てきたように思う。
それに対して未だに「甘いこと言うな!!」という人も多いが、いやいやいや。
自分が心から好きなことを見つけて、育てて、仕事にまで昇華するのって、多分めちゃくちゃ大変だよ??
それこそ気が遠くなるぐらい、自分と向き合わないと無理だよ?
キャリアのどこかの時点で前述の神様と出会えてる人ってそれこそ幸運だし、その幸運の陰には計画的偶発性が存在していると思う。
よく言う「チャンスの神様の前髪」を掴めるように私たちができるのは、ただただ自分の直感に耳を傾け、目の前のことに向き合い、いまを楽しむということなんだろうなぁ。
P.S.
恋愛の話、どっかいってすみません。涙