先日、退職する同僚(と言っても人生においても仕事においても大先輩)とランチをご一緒させてもらった。
とても性格の良い方なのだが、元戦略コンサルで頭がキレッキレなので、多分いろいろ言われるんだろうなぁ…と予想して行ったところ、案の定半分ぐらい説教されているような気分になった。笑
が、それは折り込み済だったし貴重な時間をお借りしてるので、何を言われても反論せず受け止めようと決めていた。一部やっぱり受け容れ難い内容もあったけど(パワハラとかではないです)、後から咀嚼すると「こういうことが言いたかったのね」と納得はできた。
そして、もちろん最後は楽しく終えることができて、少なくとも私はご一緒できて良かったと思った。相手にとって、少なくとも時間の無駄にはなっていないと良いのだけど…。
対話することの大切さ
何が言いたいかというと、いろんな人と話すのって大事だなぁという当たり前のことだ。
確かに「この人と話すと耳の痛いことも言われるだろうなぁ…」と予想できたし、実際言われた。
その時間を自分の気の合う人と過ごしていれば、こんな気分になることもなかった。
が、それは一方で予定調和の会話でしかないということだ。
ツーと言えばカー(死語?)の関係ももちろん大切で、愛おしい。パートナーにはこういう人であってほしいものだ…私生活で詰められたくない……。
反面、こういう「うぐっ」となる劇薬のような言葉をくれる人も、人生には時には必要なのだと感じた。言ってくれる人がいるうちが華だし、何より自分の視野とキャパが広がる。
外向きでいこう
ここ最近、(ごく少数の)同僚と夫としか話さず、インプットの源泉がいんたーねっとのみという日々が続いていた。これでは自分に都合の良い意見しか耳にしなくて当然だよなぁ…と反省。
ここ数年は、ぐーっと自分の内側にエネルギーを向けてきた。これからの数年は、また外の世界に自分を開いて、いろんな人と会話をしていきたいな。
もうすぐ年の瀬モード突入ですね。心から楽しみな忘年会の予定しか入ってないというハッピー野郎なので、今年の営業日も走り抜けます!